【1】企業OB・男性(大分県)80歳

企業OB・男性(大分県)80歳

一、はじめに

「♪来ませ 見せましょ 鶴崎おどり」で名高い大分市鶴崎で生まれ育ち、長じては九州電力㈱(以下、「九州電力」)と鶴崎海陸運輸㈱(以下、「鶴崎海陸運輸」)でサラリーマンとして精一杯働いてきた。
自分の半生を改めて振り返ると、戦中戦後の頃の両親の思い出や学校での出来事、職場での苦楽などが走馬灯のように頭を駆け巡る。
特に九州電力や、鶴崎海陸運輸にいた頃の、仕事における話題は尽きない。
しかし、いずれにせよ記憶に残るすべての事柄を書き記すことは所詮無理であり、また必要ないのでは、と思う。
自分自身の心の中に、しっかりと刻み込んでおけば良い思い出もたくさんある。
今回の機会を得て、自分の幼少期から青年時代にかけての事象を中心に述べることとした。
というのも七十九歳となり、両親はもちろんのこと、姉、妹ともすべて他界し、その頃の私を取り囲んでくれていた家族が一人もいなくなってしまったからだ。
子供の頃からの友人もめっきり少なくなった。
自分の体験を書き記すことが、何かの役に立つかどうかは分からない。だが、こうした事情から、家族について私が記さなければ何も残らないのも事実だ。
昭和の初期、日本が太平洋戦争に向かって突き進んでいた頃に間違いなく大分・鶴崎に私を育む一つの家族が存在していた。
その家族の頂点に立つ父は、軍人気質の残る、明治を代表する厳しさを持っていた。
その家族に囲まれ、私は育ってきた。その後兵役や会社勤めを経験してきたが、やはり父や母のDNAはしっかりと受け継いできたような気がする。
そのことだけでも、後世に残すべきではなかろうか。
誇りの持てる半生の礎(いしずえ)を築いてくれた、今は亡き父・母と姉・妹。
そして今日の生活の基盤となってくれている現在の家族や友人たちに感謝しつつ、自分の半生を振り返ってみたい。

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