【7】経営者・男性(大分県)72歳

【7】経営者・男性(大分県)72歳

通学距離は、トンネルができ道路勾配が緩やかになった現在の道路でも15kmはある。朝の5時頃家を出て、登ったり下りたりしながら約3時間かけて登校。 学校に到着しても、「魚が獲れたのですぐ帰れ」といった父からの電話が学校に入っていることが幾度となくあった。そのときは、とんぼ返りして、また 15kmの道を戻った。
近くに住む同級生たちは、皆、自転車通学だった。けれども自転車の値段が高く買ってもらえなかった。
今であれば、バスで30分程度。歩いても大したことはないのかもしれない。しかし昔の道はひどかった。狭隘でV字カーブがあり、木炭バスでさえ何度も切り返しながら進んでいた。
トンネルも、今の新しいトンネルより百メートルくらい高所にあった。先日、久しぶりにそのトンネルを見に行くと、あるにはあったが、塞がれて中に入れなかった。草だらけでコウモリの巣窟になっているらしい。
冬場では午後5時を過ぎると暗くなる。暗くなって怖いという気持ちはなかったが、なるべく早く帰りたいためにトンネルまで急斜面の近道を通っていた。周りは闇夜で真っ暗。常に1メートル前後の棒を片手に持ち、前方を確かめながら手探り状態でまさに「道なき道」を通った。 夏場の道は猛烈に暑い。近道の真下が本道で、木炭バスが通るとほこりをまともに受ける。ほこりが汗だくの体に張り付き、実に情けない思いをした。雨の日も傘など持たず、びしょ濡れになりながら歩いた。
イタズラ心もあり、帰宅時に雨が降り出すと木炭バスに無賃乗車を試みたこともあった。切符を売る人のスキをみてさっと乗り込むのだが、大半が見つかってつまみ出されることになる。
ところが、その切符売りで私よりちょっと年上の娘さんがいた。確か「○○さん」という名前だったが、彼女は逆に目ですっと合図を送ってくれて木炭バスに乗せてくれた。彼女のおかげで私がどれだけ助かったか分からない。
私が高校を卒業すると○○さんに会うこともなくなったが、時々、その後どうしているのだろうかと思うことがある。優しい人だったので、結婚し、幸せな家庭を築いていると信じているのだが…。

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