【8】主婦・女性(大分県)72歳

【8】主婦・女性(大分県)72歳

そして昭和二十年、私が十歳の時に神戸の大空襲に遭いました。
朝の六時ごろ、空襲警報とともに始まった市街地への絨毯(じゅうたん)爆撃。まさに床に敷かれた絨毯のように爆弾が神戸一面を覆い、「ゴー」という地鳴りのような音が聞こえました。
私の家には、船が遭難したため戻って来た長兄がいました。私は長兄におんぶされて、火の海の中を逃げ回ったのです。
長兄は「○○ちゃんを両手で持てないから、俺の首をしっかり掴んでいるんだよ」と言い、私も必死になって長兄の首にしがみついていました。 次姉の背中で、紐でくくりつけられている荷物が燃えました。荷物の上に火の粉が降り注いだのです。
次姉を助けるために、周りにいた人たちが紐をほどこうとするのですが、皆が慌てているのでなかなかうまくいきません。大変な思いをしてほどくことができ、何とか次姉も助かりました。

火の海がどんどん広がり、早く高架の上に逃げなければ焼かれてしまいます。
焼けてくすぶっているはしごを、身重の長姉、次姉、母、私をおんぶした長兄の順に登りました。恐怖のため「もう、上がられへん!」と泣き叫ぶ次姉を、高架の上から男の人たちが「頑張れ!」「頑張れ!」と励ましてくれました。
私たちが登りきり、あと四~五人が登ってしまうと、はしごは燃え尽きて落ちてしまいました。登れなかった人たちは、皆、亡くなってしまったと思います。
それはそれは、口で言うこともできないような恐ろしい体験でした。

逃げ回っている時に父はいませんでした。どうしていなかったのかは私には分かりません。そのため長兄が家族の中心になり、皆を守ってくれました。

そのあと私たちは父を探し、父も私たちを血眼になって探していました。絶望感が漂い始めた時、奇跡のように道でバッタリと父に逢うことができました。
父は私を抱き上げ、「みんな無事でよかった。裸一貫になったが家族全員でまた頑張っていこう!」と涙ながらに言いました。 「お前がよく頑張ったなあ」と長兄にもお礼を言っていました。

あくる日になり、父が親戚を探すのだと言って、遺体の上に掛けられたむしろを一枚一枚めくっていました。その黒焦げの遺体を見て、私は「ギャー」と叫んで逃げ出してしまいました。
溝の中には、炭のような遺体がぎっしりと入っていました。ひっくり返って、はらわたを出して死んでいる馬も見ました。なぜ、神戸の街の真ん中に馬がいたのか分かりませんが…。
十歳の私でも直視することができない有り様で、今でもできれば思い出したくありません。
それでもいまだにその時の光景が目に浮んできます。

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