自分史に対する想い

人生の旅研究所 代表 池永善敬

自分史を作成する人は、百人に一人程度といわれています。
大半の方が、「私の半生は、後世に残すようなものではない」といった気後れや気恥ずかしさに、執筆をためらっているのではないでしょうか。 その気があり、執筆しようと思っても「文章を書くのが苦手だ」「膨大な時間がかかる」「その上多額な出費となる」といった理由から、最終的に自分史作成をあきらめる方が多いのではないでしょうか?

私は地元の銀行に30年近く勤務し、多くのお取引先の方々の半生を聞く機会に恵まれました。 大口取引先が倒産し、ショックと絶望の中で家族、従業員の顔を思い浮かべながら必死に努力し、十数年かかって順風満帆な企業を造り上げた経営者の方。
会社から生き残りをかけたニュービジネスを任され、東奔西走し営業活動を行っているサラリーマンの方。
若くしてご主人に先立たれたため、自分の半生のすべてを家族に捧げ、立派に子供さんたちを育て上げたおばあちゃんなど。
聞くことのできた皆様の半生は、私にとって数え切れぬほどの感動を与えてくれました。

私には、銀行員時代に経済研究所に勤めていた時期がありました。月刊誌発行を担当し、取材活動を数多く行っております。 ですから相手のお話を聞き、執筆することにはある程度慣れております。 皆様の半生に感動を覚えながら、自分の技能で、ぜひその半生をお孫さんや曾孫(ひまご)さんに残してあげられないかと思ったことが、事業を始めるきっかけの一つとなりました。

もう一つ、きっかけとなる出来事がありました。
実は私の父が約20年前に63歳で亡くなりました。そのとき私の長男は6歳、長女は3歳でした。
入院が長引き、子供たちにとっての父(おじいちゃん)は、見舞いに行った時のパジャマ姿しか記憶がないと言います。
父が亡くなったあとも、私は父のことについて子供たちに常々語ってきたと思っておりました。
国鉄に勤め転勤があったこと。50歳近くで一級建築士に合格したこと。酒飲みだったこと。通信兵として満州に渡り苦労したこと、等々。

ところが衝撃的な事実がありました。
子供たちが高校生になり、車に家族を乗せて走っていた時のこと。
目前に懐かしい旧国鉄の建物が見えました。
私が「昔、ここにおじいちゃんが勤めていたんだ」と言うと、二人の子供が「初めて知った」と言うではありませんか。
あわてて「いや、国鉄にいたことは昔教えただろう?」と聞き直すと、二人とも「そう言えば…」と思い出した様子。
愕然(がくぜん)となり、改めて自分の非を悔いました。
父の苦労した人生が、私の伝承のまずさで消滅しつつあるのではないか。
母や兄、そして私が死ねば、父の足跡は何にもなくなるのではないか。これはあまりに残念だ、と。

NHKの大河ドラマで考えてみても、「新撰組」や「義経」は、誰かが書き記したからこそ後世に伝えられ、その足跡が大河ドラマとして蘇り、人々に感動を与えているのです。
「新撰組」については、生き残った永倉新八が語り部となって後世に伝え、「義経」も多くの「義経伝説」が語り継がれ、書籍となり伝えられています。
もし、永倉新八が池田屋事件で亡くなっていたらどうだったのでしょうか? もし、「義経伝説」を誰も語り継いでいなければ…。
「新撰組」も「義経」も、存在そのものが歴史の闇の中に消えてしまっているかもしれません。

誰かが残し、執筆されたもののみが残るのです。
それがもし、自分のおじいちゃんやおばあちゃんが残したものであれば…。
人生の足跡を忠実に記録し、残せるのは自分自身しかありません。
ですから残念ながら、私の父の人生は今では残しようもありません。
しかしできるだけ多くの方々に自分史を作成していただき、苦労した足跡を残していただきたいのです。
何百部も作る必要はありません。
後世のために5部でも10部でも良いのです。ご希望により写真アルバムも添付いたしますので、1冊でも残っていればお孫さんや曾孫(ひまご)さん、子孫の方が必ず目を通し、あなたに親しみを覚え、生き様をともに考えてくれるものと思います。
そこにはきっと、あなたや家系を愛し、尊び、自分自身の生き方を見つめ直す気持ちが醸成されるに違いありません。
私自身、このことを固く信じ、真摯(しんし)に自分史執筆代行事業を立ち上げて行きたいと考えております。

平成17年9月

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